勝手に映画語り第二回 アイ アム ア ヒーロー
三日目にして始めたブログを途絶えさせてしまったが、特に気にせずに自分のペースで更新していこうと思う。
さて、勝手に映画語り二回目は2016年5月12日現在、映画館で公開している作品を語ろうかと思う。
アイ アム ア ヒーロー。
言わずと知れた漫画原作の日本制ゾンビ映画で、私も大好きな北海道の伝説的ローカル番組、水曜どうでしょうでおなじみ大泉洋と、最近ますますその色気がました長澤まさみ、そして今をときめく有村架純が出演している。
ではこの映画、どこがそんなに凄いのか。
外国でいくつも賞をもらうくらいの映画なのか。
それをちょいとネタバレ気味に場面を切り取りながら語っていく。
大泉洋演じる英雄はしがない漫画家アシスタントで、過去に賞を取って連載を持ったこともあるが半年で打ち切られてしまったと言う過去を持つ。
現在もアシスタントをやりながら出版会社に原稿を持ち込んでいるが、この漫画が映画の小道具として描いたものにしても、あまりに上手くない。
恐らく英雄は漫画家としての才能が無いのである。
案の定、描いた漫画は邪険に扱われ、やはり連載の話はもらえなかった。
その話を聞いた英雄の彼女はシビレをきらし英雄の集めていた漫画、漫画を描く道具を次々に捨てようとする。
挙句に手をかけたのは、英雄が漫画を描く時にイメージを膨らませるためと言う名目で所持していたクレー射撃用の銃。
しかし、それだけは手放すまいと必死に抱える英雄に、彼女は愛想を尽かし家から追い出してしまう。
なぜここで、彼女でも長年続けてきた漫画の道具でもなく銃を英雄は選んだのか。
それは恐らく銃が英雄の信念であり夢でありプライドだったのだろう。
たんたんと漫画を仕事としてこなす一方で、何かチャンスがあれば、いつの日かと言う願望の象徴が、銃だったのだろう。
家を追い出され、彼女はZQNになり、彼女だけではなく街中の人々がZQNに変わっていく中、英雄は偶然、有村架純演じる女子高生の比呂美と行動を共にすることになる。
しかし、この比呂美も英雄に出会う前にZQN化した赤ちゃんに首元を噛まれており、半分ZQN、半分人間とう半端な状態になってしまう。
そもそもこのZQNとはいったい何なのか、ZQNはどうして生まれたのか等の謎は映画の中では全く解決しない
ただ、比呂美が半分ZQNとなることと、映画で描かれるZQNの行動を読み解いていくと、実はZQNとは我々のメタファーだという事が分かってくる。
ショッピングモールで建物の上からZQNの行動を観察するシーンがある。
吊革に捕まって電車で通勤している格好のまま立ちすくむZQN。
店の入り口でショッピングを楽しんでいるかのようなZQN。
何をするわけでもなく、あっちに行ったりこっちに行ったりと、なんだか良く分からない事をしているZQN。
そして、生前は大学で走り高跳びの選手として期待をかけられていたという、ZQN化してもなお高跳びの練習をしている個体など様々なのだが、これらは正に、決められた仕事をし、遊び、練習をしているだけのなんとなく毎日を消化している、スクリーンの前にいる我々そのものなのである。
そして比呂美はそんなつまらない我々、大人に今まさになりかけているのである。
そんなZQNを見ながら長澤まさみ演じる藪は言う。
「彼らは過去に生きている。」
私達は普段地元の仲間で集った時、或いは大学の仲間で集まった時、あの時は楽しかったね、なんて会話をすることがあると思う。
そう、私たちはその時点でZQNになってしまっているのである。
映画のクライマックス、大勢のZQNから比呂美を守るために英雄、藪、ニートと夫婦関係が終わっていた中年男が奮闘する。
しかし、つまらない大人にはならなかったものの夢や信念を持っていなかったニートと冷めきった夫婦仲に最後の希望を見ようとした中年男は死んでしまう。
生き残ったのは、英雄、そして患者を助けたくても助けられなかったと言う過去を持つ看護師の藪。
この二人の共通点は報われない今を信念や夢、プライドを失わずに生きてきたという事だろうか。
そして、最後に立ちはだかったZQNも、実は英雄のように信念や夢、プライドを失わずに生前、走り高跳びの選手として、練習を続けていた人物でもある。
両者の違いは、報われなさとか周りからの期待感とかそんなところだろう。
ここまで語れば、この映画がどういう性質をもった映画なのかという事が分かってきたのではないだろうか。
日本映画にしてはアクションや撮影に手間がかかったゾンビ映画というだけでなく、報われない人間、社会の中で陰日向の存在が世の中に反旗を翻す、一石を投じる、そんな爽快感を味わえる、映画の作りとしても大変厚みを持った素晴らしい作品なのである。
だから、日本人以上に目の肥えた海外の映画ファンからも称賛されるのである。
公開間際、或いは公開当初にあれだけ宣伝を打って、ここまで成功した日本映画は、ここ何年かでは無いのではと思う。
余談だが、私はこの映画をみながら劇場で一人号泣した。
迫りくるZQNをそれまで報われなかった男がバンバン打ち殺すさま、そして車に乗り込み脱出した三人。
右向きの比呂美のアップは脱出できたはずなのに、表情は硬く、藪に名前をたずねられ、それに答える英雄も自身のことをただの英雄と言うだけ。
そうして私達は、そんなどこか後味の悪い余韻を胸に現実へと戻される。