勝手に映画語り第一回 ギルバート・グレイプ
What's Eating Gilbert Grape - Trailer
ギルバート・グレイプはアイオワにある小さな町で生活している。
障害を持ち十年は生きられないと医者から宣告された弟のアーニー。
その弟も、もうすぐ十八歳の誕生日を迎える。
母親は父親の死によるショックで、クジラのように肥え太って、家から一歩も出なくなってしまった。
そんな母の代わりに家の仕事をこなす姉と、少し生意気な妹と5人暮らし(実は兄貴もいるがとっくに町を出て映画には出てこない)。
ギルバートは町の食料品店で仕事をしながら、そんな家族たちを死んだ父親の代わりに支える生活を送っていた。
ある日、町の外から旅の途中のトレーラ団がやってきた。
その中の一台が故障し、しばらく町に留まることになり、ギルバートはベッキーと言う少女にであって・・・と言うストーリー。
こまかい映画の解説は多分インターネット中に沢山ころがっていると思うので、今回は映画の中に出てくる人物達の役割について語っていこうかと思う。
まずギルバートについて。
ジョニー・デップ演じるギルバートはこの映画の主人公なのだが、家族の面倒を見ないといけないと言うのを理由に自分を押さえつけて生きている。
否、家族と言うよりは肥え太った母親を支えるためになのだが、その母親は見た目通り、ギルバートの重荷になってしまっている。
言わばギルバートは自制心の象徴だろうか。
次にギルバートと一緒にいつもいるアーニー。
このディカプリオ演じるアーニーが、劇中ではギルバートを押さえつけるもう一つの理由のように描かれているのだが、実はアーニーはギルバートの欲望なのである。
ギルバートが母親を理由に町に留まっている一方、アーニーは目を離すとすぐ高いところに上ってしまう。
これはギルバートができない事、すなわち町を離れるという事を代わりにアーニーがやろうとしているのである。
そして、ギルバートにおんぶされた時には「兄ちゃんは縮んでる!」と笑いながら叫びまわる。
そう、文字通りギルバートは自制心で押さえつけすぎて縮んでしまっているのである。
そんなギルバートの心もベッキーに出会う事で少しづつ変化していくのだが、では、この旅の少女ベッキーはいったいどう言う存在なのかと言えば、恐らく自由の象徴なのだろう。
だからこそアーニーはギルバートよりも先にベッキーに声をかけるし、ベッキーが来てからと言うものアーニーはどんどん手を付けられなくなっていく。
他にも葬儀屋の友達とか、ハンバーガーショップで働く友達、ギルバートの不倫相手だとか物語に厚みを与える登場人物が沢山いるのだが、あまり言及しすぎても野暮だと思うので今回はこの辺にしておこうと思う。